ヤング・リヴィング基金

リビルド・ネパール

リビルド・ネパール

非常事態の国
2015年、ネパールを2つの大地震が襲い、約9,000名の命が奪われ90万件以上の家が崩壊し、何百万人もの人々が家を失いました。ヤング・リヴィング基金の創始者でありヤング・リヴィングの会長であったD.ゲリー・ヤングは、震災後の2016年1月ネパールを訪れました。復興は徐々に進められているものの、多くの人々が零度を下回る過酷な環境の中、仮設住宅では大雨をしのぐことが出来ず、いまだ生きるのに精一杯な状況を目の当たりにし、ゲリーは大きな衝撃を受けました。


新しい家、新しい学校
ゲリーとヤング・リヴィング基金は、人々に新しい家を与えることが急務であると痛感し、すぐさま行動に移しました。地震によって壊滅的な被害を受けたネパールのヤーサ村では、すでに新しい家を100件、また小学校の建設が進行しており、自立できる村、整備されたコミュニテイーの構築を目指しています。


村の再建には震災で職を失った50名以上の人々に仕事を提供する必要がありました。そこで私たちは村にレンガ工場を開設し、新しい仕事をつくるだけではなく、村に有り余っている資源、「泥」を大いに活用したのです。ゲリー自身がこのプロジェクトのリーダーとなり、ネパールに何度も足を運び、家と学校建設の指揮をとりました。また、村の建築技師、作業員を雇い、村にある機器や資材を利用する等、地域のリソース活用にも努めました。

パサン・シェルパさん

ここで村に住むパサン・シェルパさんをご紹介しましょう。パサンさんは地震が襲う1年ほど前、アメリカドル5,000ドルに相当するローンを組み、妻と2人の子供のために必至に働いていました。しかし、家が完成して数か月後に地震が村を襲い、家は完全に崩壊してしまったのです。食べ物や着る物等、持っている物は全てがれきの下に埋もれてしまい、村に住む他の人々同様、ブリキでできた仮設住宅が完成するまでの間、家畜と共に避難所での生活を余儀なくされました。
家を失ったものの、ローンは残ったパサンさんは、返済のため寝る間も惜しみ働いていました。ネパールでは重い荷物を背中に紐で巻き付け、その紐を眉毛の上あたりに結び、重さを背中と頭に分散させて運びます。「セメントや米が入った荷物を運んでいたので、荷物の重さで髪の毛が少し抜けてしまいました。」と言ってパサンさんは、髪が抜け落ち、荒れて硬くなった肌を見せてくれました。


パサンさんはなんとかローンの返済を終えたものの、今後どうやって新たな家を建てるのか途方に暮れていました。家を建て直す目途が全くつかず、このまま一生ブリキで作られた仮設住宅暮らしになってしまうのではないかと、涙が止まりませんでした。


2017年2月にヤング・リヴィング基金のメンバーがチームを作ってネパールを訪れ、パサンさんの家の再建を手伝いました。パサンさんとメンバーは共に家を建てるためにレンガを積み重ねていきました。レンガの壁が完成に近づくと感極まったパサンさんは家の真ん中に立ち、泣きながら奥さんと子供の寝る場所をメンバーに話しました。全員で感動の涙を流したことは言うまでもありません。約55平方メートルという小さな家も、パサンさんとそのご家族には立派な城であり、そして村に住む人々にとっても希望の象徴なのです。